古曽部の里山は花崗岩質の土壌が点在し、僅かな量ですがやきものに適した土が採れます。 各地で民窯が生まれれた近世江戸時代、古曽部の住人五十嵐新平は、京都で修行を積み、 江戸時代後期、藩主の許可を得てこの地でに作陶を開始しました。やきものには「古曽部」の印 が押され、その名は各地に広く知れ渡りました。そして、四代まで続いた古曽部焼は日用雑器の他、 京阪間の文人に愛好された茶器なども生み出し、遠州七窯の一つに数えられるようになりました。 しかし、他の多くの民窯の様に、昭和の初めには廃窯となりました。昭和三十年頃には窯場の名残 も姿を消し、今はやきものを生み出した古曽部の里の赤松の林だけがわずかに名残をとど めるばかりとなりました。 治良兵衛窯は1994年、古曽部の地で開窯、わずかに残された自然の中に工房を構え、 地元の土をはじめ、信楽、京都の他、各地から土を取り寄せて作陶を続けています。 (古曽部焼とは直接的な関係はありません)
治良兵衛 略歴 古曽部の旧家に生まれる。 四十歳で作陶をはじめ、1994年治良兵衛窯を開き現在に至る。 日本陶磁協会会員。古曽部陶芸倶楽部主宰。治良兵衛は生家の屋号。 高槻市古曽部町三丁目。 お問い合わせは potter@jirobe.jp |
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