能因法師の吟稿を埋めたとされる塚です。能因塚の北方約300mの畔道にあります。そばに建てられた説明札には 「高槻市指定「史跡」 文塚 中古三十六歌仙の一人で、平安時代の代表的歌人である能因法師が、死期を前にして吟稿(和歌の原稿)を埋めたところと伝えられる、所在は不明であったが、江戸時代の嘉永二年(一八四九)山藤辰政がこの碑を立てて顕彰した。晴れた日には、はるか南に生駒の山並が望め、 わが宿の梢の夏になるときは 生駒の山ぞ見えずなりける と詠んだ能因の時代がしのばれる。 昭和六十三年十一月 高槻市教育委員会」 とあります。 今でも、この付近の家から晴れた日には生駒山が望めます。 |
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